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小説その他

最後の観客

五十三年前に切符を買ったまま、まだ来ていない客がいる

最後の観客
#小説#短編小説#書き下ろし#家族#待つこと

概要

二百十四日、客がひとりも来ない映画館。それでも毎晩十九時に映写機を回す理由は、五十三年前の取り置きの半券だった。廃業を決めた二百十五日目の夜、扉が開く。5,000字の書き下ろしオリジナル短編小説です。

本文

二百十四日、誰も来ていない。

それでも私は毎日、十九時ちょうどに映写機を回す。八十四席の座席に向かって、一本の映画をかける。フィルムは擦り切れ、スクリーンの右上には雨漏りのしみがある。音は左のスピーカーしか鳴らない。

客が来ないなら止めればいい、と誰もが言う。実際、電気代だけで月に六万かかる。私の年金は月に十一万だ。

止められない理由が、ひとつだけある。

この映画館には、切符を買ったまま、まだ観に来ていない客が一人いる。

半券の控えは、五十三年ぶん残っている。

私の父がこの映画館を始めたのが昭和三十六年。父は几帳面な男で、切符を売るたびに控えを箱に入れた。私は父が死んでから、その箱を引き継いだ。

箱は全部で十四個ある。事務室の棚に、年代順に積んである。

私は雨の日、客の来ない日に、それを一箱ずつ広げる。

半券の控えには、日付と、席番号と、たまに名前が書いてある。父は名前を書く必要のない客の名前まで書いた。「常連は名前を覚えるのが礼儀だ」と言っていた。

名前を追っていくと、その人の人生が少し見える。

昭和四十年から五年間、毎月来ていた若い男が、昭和四十五年から二人分買うようになる。昭和四十八年から三人分になる。昭和五十五年に、また一人分に戻る。昭和五十七年で、途切れる。

結婚して、子どもができて、子どもが大きくなって、一人で来るようになって、そして来なくなった。

名前は、佐々木といった。

私はその人の顔を覚えていない。父なら覚えていただろう。父はもういない。

半券だけが残っている。

半券は、その人がここにいたという、たったひとつの証拠だ。

昭和四十八年七月十四日の控えに、こう書かれている。

『前売 一枚 佐伯 (取り置き)』

取り置き、というのは、当時この館でやっていた仕組みだ。金だけ先に払って、いつ来るか決めていない客のために、席を空けておく。ふらりと来て、好きな回を観て帰る。

佐伯という客は、五十三年間、来ていない。

父から聞いた話では、佐伯は当時二十六歳の工員だった。

毎週水曜の夜に来て、いちばん後ろの右端に座った。同じ席にこだわる客だった。父はその席を「佐伯席」と呼んで、水曜だけは他の客に売らなかった。

昭和四十八年の七月、佐伯は父に言ったそうだ。

「しばらく来られなくなります」

父が理由を聞くと、佐伯はこう答えた。

「兄貴の借金を返しに、北へ行きます」

それで、一枚前売りを買った。

「帰ってきたら、観ます」

父は取り置きの控えを書いた。

佐伯はその日、まだ映画を観ずに帰った。

私が映写技師になったのは十九のときだ。父の下で八年働き、父が倒れてからは一人でやった。

客は減り続けた。テレビが来て、ビデオが来て、シネコンが来て、配信が来た。二十年前に十席、十年前に二席、三年前からは、ゼロの日が多くなった。

妻は五年前に出ていった。出ていくとき、こう言った。

「あなたは、来ない人を待ってる。私はここにいるのに」

正論だった。反論できなかった。

妻とは、この映画館で出会った。

昭和五十八年、彼女は二十歳の学生で、水曜の夜に一人で来た。いちばん後ろの右端に座ろうとしたので、私は慌てて止めた。

「そこは、だめです」

「なぜですか」

「取り置きの席なので」

彼女は不思議そうな顔をして、一つ隣に座った。

次の週も来た。次の週も。半年経ったころ、彼女は言った。

「あの席、まだ誰も来ないんですね」

「来ません」

「いつから待ってるんですか」

「十年です」

彼女は笑った。

「じゃあ、わたしも待ちます」

それが求婚のようなものだった、と今になれば思う。

結婚して、三十年、彼女は毎週水曜、隣の席に座った。

私は映写室にいたので、彼女は一人で座っていた。三十年、一人で。

子どもはできなかった。彼女は一度だけ、その話をした。

「わたしたち、待ってるものが多すぎるね」

私はその意味を、当時わからなかった。今はわかる。

彼女は、私が佐伯を待つのを許した。子どもを待つのも許した。客が来るのを待つのも許した。

許しているあいだ、誰も彼女を待っていなかった。

出ていく前の晩、彼女は最後に一度だけ、あの席に座った。

取り置きの席に。

私は映写室の小窓から、それを見ていた。止めなかった。

止めるべきだった。

三十年で、たった一度、彼女が座りたがった席だったのだから。

二百十五日目の夜、扉が開いた。

私は映写室の小窓から下を見た。人影がひとつ、通路をゆっくり歩いていた。老人だった。腰が曲がっていて、杖をついていた。

その人は、いちばん後ろの右端に座った。

私は階段を駆け下りた。

「佐伯さんですか」

老人は驚いて私を見た。暗がりでも、顔の皺の深さがわかった。

「なぜ、私の名を」

私は震える手で、五十三年前の控えを差し出した。老人は胸ポケットから眼鏡を出して、それを読んだ。

長い時間だった。

やがて老人は言った。

「これは、私のものじゃない」

私は言葉を失った。

「私は佐伯です。でも、この切符を買ったのは、兄です」

老人の話は、こうだった。

昭和四十八年、佐伯家には二人の兄弟がいた。兄が二十六、弟が二十一。

兄は工員で、毎週水曜にこの映画館に来ていた。弟は東京の学校に行っていた。

その年、兄が借金を作った。連帯保証だった。友人が飛んで、兄に全部が来た。

兄は北へ行くと言った。仕事のあてがあると言った。

行く前の日、兄はこの映画館で前売りを買った。

そして、北で死んだ。

「事故ということになっています」と老人は言った。「私は、そうは思っていません」

私はスクリーンを見た。まだ何も映っていない。

「それを、なぜ今」

「五十三年、この街に帰れなかったんです」と老人は言った。「兄の借金は、私に来ました。私は逃げました。名前を変えて、遠くで働きました。全部払い終わったのが、二年前です」

老人は杖を両手で握った。

「七十九になって、やっと自分の名前で電車に乗れました」

私は座席の背に手をついた。

「よく、この館が残っていると思われましたね」

「思いませんでした」と老人は言った。「更地になっていると思って来ました。それでも、跡地に立ちたかった」

私は映写室に戻って、フィルムをかけた。

昭和四十八年の七月に、この館でかかっていた映画だ。私は五十三年間、水曜だけはこの一本をかけ続けてきた。父が「佐伯が来たときのために」と言ったからだ。父が死んで四十年、私はその約束を一人で守ってきた。

擦り切れたフィルムが回る。左のスピーカーだけが鳴る。スクリーンの右上のしみが、雲のように見える。

老人は、いちばん後ろの右端で、微動だにせずそれを観ていた。

映画が終わったとき、館内は静まりかえっていた。

私は階段を降りて、老人の隣に座った。

老人は前を向いたまま言った。

「兄が観たかったのは、これですか」

「そうです」

「面白かったでしょうか」

「わかりません」と私は答えた。「私は五十三年、これを観続けていますが、面白いかどうか、もうわかりません」

老人は少し笑った。

「私は面白かったです」

「本当ですか」

「わかりません」と老人も言った。「兄の席で観たので、面白さが自分のものか、兄のものか、区別がつきません」

外に出ると、雨が降っていた。

私は傘を貸した。老人は受け取って、それから聞いた。

「この映画館は、いつまで」

私は正直に答えた。

「今日までのつもりでした」

老人は傘を持ったまま、私を見た。

「今日?」

「二百十四日、客が来ませんでした。今夜も来なければ、明日、廃業届を出すつもりでした。もう書いてあります」

老人は長いこと黙っていた。

それから言った。

「では、私は二百十五日目に来たわけですね」

「はい」

「一日、間に合った」

その夜、私は廃業届を破った。

破ってから、これは感傷だとわかっていた。客が一人来たからといって、電気代が払えるわけではない。年金は月に十一万のままだ。

それでも破った。

破ったあと、私は父のことを考えた。

父は昭和三十六年にこの館を建てた。理由を、私は一度だけ聞いたことがある。

父は戦争に行っていた。南方で、部隊の大半が死んだ。父は生き残った。

帰ってきて、しばらく何もできなかったそうだ。

ある日、焼け残った小屋で映画を見た。誰が上映していたのかもわからない、ひどい画質の映画だった。

父はそこで、二時間、何も考えずにいられたという。

「二時間、死んだ奴らのことを忘れられた」と父は言った。「忘れられたことが、うれしかったんじゃない。忘れさせてくれる場所があることが、うれしかった」

だから父は映画館を建てた。

忘れさせるためではなく、忘れていい場所を作るために。

私はそれを、五十年以上守っている。

守っているつもりで、たぶん、それに守られている。

老人は、それから毎週水曜に来るようになった。

二人で、同じ映画を観る。老人はいちばん後ろの右端。私は映写室。終わったら、ロビーで茶を飲む。

三か月目に、老人が連れを一人つれてきた。近所の八十代の女性だった。

半年目に、四人になった。

一年目に、九人になった。全員が七十以上だった。

ある日、そのうちの一人が言った。

「ここ、若い人が来ないねえ」

私は答えた。

「来ないですね」

「来なくていいのかい」

私は少し考えて、答えた。

「昔は、来てほしいと思っていました」

「今は?」

「今は、来た人が座れればいいと思っています」

佐伯さんが亡くなったのは、それから二年後だった。

葬式で、遺族の方が私に封筒を渡した。中に、便箋が一枚。

『映写技師どのへ

兄の席に、五十三年、埃をかぶらせずにいてくださって、ありがとうございました。

私はあの席で二年間、兄の代わりに映画を観ました。   兄が何を思って毎週来ていたのか、二年でだいたいわかった気がします。   たぶん、何も思っていなかったのだと思います。   ただ、暗いところで、誰にも呼ばれずに座っていたかったのだと思います。   私にも、そういう時期がありましたので。

あの席は、次の人に売ってやってください。   取り置きは、もう結構です。』

私は今も、十九時に映写機を回している。

いちばん後ろの右端は、今は普通に売っている。

先月、そこに二十代の若者が座った。一人で来て、一人で観て、一人で帰った。

帰り際、その子が私に聞いた。

「この映画館、なんでまだやってるんですか」

私は答えた。

「切符を買ったまま、まだ来ていない人がいるからです」

その子は変な顔をして、それから言った。

「それ、僕かもしれないですね」

「そうかもしれません」と私は答えた。

その子は、翌週も来た。

先月、妻から手紙が来た。

五年ぶりだった。封筒に差出人の住所はなく、消印だけが北の街のものだった。

便箋には、こう書かれていた。

『映画館、まだやっているそうですね。   人づてに聞きました。

あなたを許したわけではありません。   三十年、隣の席に座っていたことも、まだ怒っています。

ただ、ひとつだけ思い出したことがあります。

わたしがあの席に座った最後の夜、あなたは止めませんでした。   止められたら、わたしは出ていかなかったと思います。   だから、止めなかったのは、あなたの優しさだったのかもしれない、と最近思うようになりました。

違うかもしれません。   どちらでもいいです。

あの席、今は誰が座っていますか。』

私は返事を書いた。

三日かけて、一行だけ書いた。

『誰でも座れるようにしました。あなたも、来られるときに。』

出したかどうかは、ここには書かない。

私は今日も、十九時に映写機を回す。

左のスピーカーだけが鳴る。スクリーンの右上のしみは、年々大きくなっている。

八十四席のうち、埋まるのは多くて九席だ。

九席でも、私はかける。

ゼロでも、かける。

この五十三年で学んだことが、ひとつだけある。

待つというのは、来ないかもしれない相手のためにやることではない。

待っているあいだ、その場所を開けておくためにやることだ。

開いていれば、誰かが入ってくる。

佐伯さんの兄ではないかもしれない。私の妻ではないかもしれない。

それでも、誰かは入ってくる。

入ってきた人が座れるように、私は今日も、椅子を拭いている。

(了)

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