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小説その他

貸し出された祖父

レンタル家族で祖父を演じる男には、会えない本物の孫がいる

貸し出された祖父
#小説#短編小説#書き下ろし#家族#老い

概要

二時間八千円で祖父を演じて十二年。七十四人目の孫となる六歳の少女に、彼は規約を破って本名を告げる。「おかねはらわなかったら、こないの?」——この仕事でいちばん怖かった質問への答え。5,000字の書き下ろしオリジナル短編小説です。

本文

今日で、七十四人目の孫に会う。

私は七十九歳、レンタル家族の登録キャストだ。専門は祖父役。単価は二時間で八千円。交通費別途。年齢のわりに歯が全部残っているのと、話し方が穏やかなのが評価されて、この業界では中堅上位に入るらしい。

依頼票を見る。今日の孫は、六歳の女の子。依頼主は母親。備考欄にはこう書かれている。

『父がおらず、祖父もおらず、保育園の「敬老の日の似顔絵」で描く相手がいません。一度会って、顔を見せてやってください。それだけで結構です』

それだけで結構です、という一文を、私はこの十二年で何百回も読んだ。

それだけで結構だった依頼は、一度もない。

待ち合わせは駅前の喫茶店だった。

母親は三十代半ばで、化粧をしていた。この仕事をしていると、依頼主が化粧をしてくるかどうかで、その人の緊張の度合いがわかる。彼女は緊張していた。

女の子は、母親の後ろに隠れていた。

「ほら、おじいちゃんだよ」と母親が言った。

私はここで、絶対に自分から近づかない。十二年で覚えた唯一の技術だ。子どもは、近づいてくる大人を警戒する。座って、目線を下げて、待つ。

私は椅子に座り直して、メニューを見た。

「わしはクリームソーダにするかな」

三十秒後、女の子が母親の後ろから半分出てきた。

「わたしも」

二時間の内訳は、だいたい決まっている。

最初の三十分で、子どもが警戒を解く。次の一時間で、子どもが本題を持ってくる。最後の三十分で、別れの準備をする。

その日の本題は、四十分目に来た。

女の子がストローで氷をつつきながら、こう言った。

「おじいちゃんは、しんでないの?」

母親が息を呑む音がした。

私は答えた。

「死んどらんよ」

「よかった」

「なんでよかった?」

女の子は氷をつつき続けた。

「ゆうきくんのおじいちゃん、しんだから、かけないんだって。しんだひとは、かいちゃだめなんだって」

私は母親を見た。彼女は下を向いていた。

「誰がそう言った?」と私は聞いた。

「ゆうきくん」

「ゆうきくんは、間違っとる」と私は言った。「死んだ人ほど、描いてもらわんと困る。描いてもらえんかったら、忘れられてしまうからな」

女の子は顔を上げた。

「じゃあ、ゆうきくんのおじいちゃん、かいていいの?」

「いい。むしろ、描いてやってくれ」

「わたしのおじいちゃんじゃないのに?」

私は少し考えた。

「わしも、お前さんのおじいちゃんじゃないよ」

母親が顔を上げた。目が「言うな」と言っていた。私は続けた。

「わしは今日、初めて会った。血もつながっとらん。それでも、お前さんが今日わしの顔を覚えたら、明日から描ける。描かれた人間は、その紙の中では、ちゃんとおじいちゃんじゃ」

女の子はしばらく黙っていた。

それから言った。

「じゃあ、かおをよくみせて」

女の子は喫茶店の紙ナプキンに、私の顔を描いた。

鉛筆はなかったので、母親のボールペンを借りた。目が三つあった。訂正しなかった。

二時間が終わった。母親が伝票を持って立ち上がった。私は女の子に手を振って、店を出た。

これでいつも終わる。

この仕事は、続きがない。それが規約だ。連絡先は渡さない。再依頼は事務所を通す。同じキャストが指名されるとは限らない。

私はその日、駅の階段を降りながら、いつもより少しだけ足が重かった。

この仕事には、いくつか業界特有の言い回しがある。

「刺さる」は、依頼主が役に本気になってしまうことを言う。危険な状態だ。  「抜ける」は、キャストのほうが本気になってしまうことを言う。もっと危険だ。  「置いてくる」は、二時間が終わったあとで、自分の中の何かをその家に残してしまうことを言う。

私は十二年で、七十四回、何かを置いてきた。

事務所の研修では「置いてこないように」と教える。教えるが、置いてこない人間はこの仕事に向かない。何も置いてこないキャストは、子どもにすぐ見抜かれる。

これは矛盾した職業だ。

本気にならないと務まらないのに、本気になると壊れる。

同期に十人いたが、残っているのは私を入れて二人だ。

もう一人は八十三歳で、専門は「亡くなった夫」役だという。私は一度だけ、その人と飲んだ。彼はこう言った。

「わしはな、死んだ亭主をやるとき、必ず一回、失敗するんや」

「失敗?」

「わざとや。茶碗を割ったり、名前を呼び間違えたり。完璧な亭主をやったら、奥さんが本物と間違える。間違えたら、あとがつらい」

私はそれを聞いて、自分の甘さを知った。

私はいつも、完璧な祖父をやろうとしていた。

私には、本物の孫がいる。

二人。上が十九、下が十五。

最後に会ったのは、上の子が四歳のときだ。十五年前になる。

息子が離婚して、親権が向こうに行った。そのあと、息子が私の家に来て、こう言った。

「親父のせいだよ」

私は聞き返した。何がだ、と。

息子はそこで、四十年ぶんの話をした。私が家にいなかったこと。運動会に来なかったこと。息子の高校の入学式の日に出張を入れたこと。妻が死んだとき、葬式の翌日に出社したこと。

全部本当だった。私は仕事をしていた。仕事をすることが家族への責任だと、本気で思っていた。思っていたことは今も嘘ではない。ただ、それは私の側の理屈で、息子の側の理屈ではなかった。

息子は最後にこう言った。

「俺、あんたみたいになりたくなかったのに、なった」

それから、来なくなった。

六十七歳でこの仕事を始めた理由を、事務所の面接で聞かれたことがある。

私は「年金が足りないので」と答えた。半分本当だ。

もう半分は、こうだ。

私は祖父になり損ねた。なる資格を、自分の手で捨てた。

捨てたものを、他人の家で拾い直そうとしている。これは卑怯なことだと思う。本物の孫に謝りに行かず、赤の他人の子どもに優しくしている。順番が逆だ。

わかっていて、私は十二年やっている。

依頼票の備考欄には、いろいろなことが書かれる。

『祖父が刑務所にいます。子どもには「遠くで働いている」と説明しています。一度、遠くから帰ってきた祖父をやってもらえませんか』

『息子が「おじいちゃんに会いたい」と毎晩泣きます。義父は健在ですが、絶縁しています。理由は書けません』

『娘の結婚式で、新婦側の親族席が三人しかいません。頭数だけで結構です。喋らなくていいです』

いちばん忘れられないのは、これだ。

『母が認知症です。父だと思って接してくれる人を探しています。父は八年前に亡くなりました。母はそれを毎回忘れて、毎回、初めて聞いたように泣きます』

私はこの依頼を断った。

断った理由を、事務所には「体調」と説明した。

本当の理由は違う。

私にはできなかった。八年前に死んだ人間の代わりに、生きている顔で座ることが。

依頼主は四十代の女性で、断りの連絡を入れたとき、こう言った。

「そうですよね。すみません、変なことを頼んで」

私は電話口で、言葉を探した。探して、結局こう言った。

「お母様に、毎回泣いてもらってください」

「え」

「毎回初めて聞いて、毎回泣くというのは、毎回ちゃんと悲しんでいるということです。ごまかさなくていいと思います」

彼女は電話の向こうで、しばらく黙っていた。

それから、「ありがとうございます」と言って切った。

あの判断が正しかったのかは、今もわからない。

七十四人目の依頼から、三か月後だった。

事務所から電話があった。指名が入っているという。

「あの子ですか」

「そうです。ただ、少し内容が特殊で」

依頼票がメールで送られてきた。

『敬老の日の似顔絵が、園に貼り出されました。娘の絵の下に、園の先生が「おじいちゃんのおなまえ」を書く欄を作ってしまいました。娘が名前を知らないことに気づいて、泣きました。

名前だけ、教えてやってもらえませんか。会わなくて結構です。電話でも構いません』

私は依頼票を三回読んだ。

規約上、キャストの本名は開示できない。役名を使う。私の役名は「たかし」だ。

私は事務所に電話して、こう言った。

「本名で受けたい」

事務所は渋った。当然だ。私は押した。押しきった。十二年やっていると、そういう我が儘がひとつくらい通る。

三度目の喫茶店で、私は女の子に紙を渡した。

私の本名が書いてある。漢字とふりがな。

女の子はそれを見て、指でなぞった。

「これ、ほんとのなまえ?」

「本当だ」

「まえのは?」

私は驚いた。この子は、私が名乗った名前を覚えていて、なおかつ、それが本当かどうかを疑っていた。六歳が。

「前のは、仕事の名前だ」

「おじいちゃん、しごとなの?」

母親が口を開きかけた。私は手で制した。

「そうだ」と私は言った。「わしは、おじいちゃんをやる仕事をしとる。お金をもらって、おじいちゃんになりに来る」

女の子は、たっぷり十秒黙った。

それから言った。

「じゃあ、おかねはらわなかったら、こないの?」

私は喉の奥が詰まった。

この十二年、いちばん怖かった質問だった。誰も聞かなかった質問だ。大人は遠慮して聞かない。

「……来ない」と私は答えた。「それが仕事だから」

女の子はうなずいた。泣かなかった。

「わかった」

その日の帰り、母親が駅まで送ってきた。

改札の前で、彼女が言った。

「今日、ありがとうございました」

「いえ」

「本名を出してくださって」

私は首を振った。

「あの子に、嘘をひとつでも減らしたかっただけです」

彼女は少し笑って、それから言った。

「あの子、家で言ってました。『おじいちゃんは、おしごとでやさしくしてるんだよ』って」

私は言葉に詰まった。

「傷つけましたか」

「いいえ」と彼女は言った。「続きがあるんです。『でも、おしごとじゃないときも、やさしいひとだとおもう』って」

その夜、私は十五年ぶりに、息子の電話番号を押した。

三回鳴って、切った。

押し直して、四回鳴って、切った。

三度目に、相手が出た。

「もしもし」

息子ではなかった。若い男の声だった。

「……どちら様ですか」

私は名乗ろうとして、口が動かなかった。役名なら、いくらでも滑らかに出るのに。

沈黙のあと、若い声が言った。

「じいちゃん?」

その先のことは、まだうまく書けない。

二時間の依頼なら、三十分で警戒を解いて、一時間で本題に入って、三十分で別れの準備をする。手順が全部わかっている。

でも、本物には手順がない。

私は今、七十九歳で、初めて、台本のない祖父をやっている。

うまくできる自信はまったくない。

ただ、今度は、金をもらわずに行く。

最後に、ひとつ書いておきたいことがある。

事務所に、キャスト登録の抹消届を出した。

担当者は驚いて、理由を聞いた。私は正直に答えた。

「本物のほうをやることになりました」

担当者は少し笑って、それから真面目な顔で言った。

「七十四人のお子さんは、どうしますか」

私は答えられなかった。

七十四人の子どもがいる。私を「おじいちゃん」と呼んだ子どもたちだ。そのうち何人が、今も私の顔を覚えているだろうか。似顔絵を描いた子は、あの一人だけではない。

担当者は続けた。

「規約上、キャストの抹消は、お子さんへの通知を伴いません」

「知っています」

「つまり、あの子たちにとっては、おじいちゃんが理由もなく来なくなる、ということです」

私は椅子の上で、手を握った。

それは、私が息子にしたことと、同じだった。

私は抹消届を取り下げた。

今も、月に二件だけ受けている。

残りの時間は、孫のところに行く。上の子は大学生で、下の子は高校生になっていた。二人とも、最初は警戒していた。当たり前だ。

三度目に会ったとき、上の子が言った。

「じいちゃん、なんか、こういうの慣れてるね」

私は答えに詰まった。

「仕事でな」

「仕事?」

「じいちゃんをやる仕事を、十二年やってる」

孫は目を丸くして、それから笑った。

「なにそれ。じゃあ、俺、練習台の成果物じゃん」

私は笑わなかった。笑えなかった。

孫は続けた。

「まあ、練習してから来てくれたほうが、いいよ」

私はその夜、家に帰って、久しぶりに泣いた。

七十九歳の男が泣くのは、みっともない。

みっともなくていい、と今は思っている。

台本のない祖父は、たぶん、みっともないものだからだ。

(了)

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出品者: Regnboga.net 公式